日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらのみこと)は、観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらのみこと)の第二子で、母を世襲足媛命(よそたらしひめのみこと)といった。尾張の連の遠祖(とおつおや)の瀛津世襲(おきつよそ)の妹である。
(作者注)
日本足彦国押人天皇の漢風諡号は孝安天皇。
天皇は父である先帝の観松彦香殖稲天皇の治世68年の春、正月に皇太子となった。
同治世83年秋8月、観松彦香殖稲天皇が崩御し、天皇の治世元年春27日に、即位した。
治世2年冬10月、都を室の地に移した。これを秋津嶋宮という。
治世26年春2月14日、姪の押媛命(おしひめのみこと)を立てて皇后とした。皇后は大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらのみこと)を生んだ。
(作者注)
皇后については異伝として磯城県主葉江の娘の長媛と十市県主五十坂彦の娘の五十坂媛の名が記載されている。
治世38年秋8月14日、父である観松彦香殖稲天皇を掖上博多山上陵 (わきのかみのはかたやまのへのみささぎ )に葬った。
治世76年春正月5日、大日本根子彦太瓊尊を立てて皇太子とした。このとき皇太子は26歳だった。
治世102年の春正月9日、日本足彦国押人天皇は崩御した。