− 私本日本書紀 −

巻六

第四話 狭穂彦王の謀反

治世4年秋9月23日、皇后のの兄である狭穂彦王(さほびこのみこ)は謀反を計画して皇位につこうと考えた。狭穂姫(さほひめ)が休養しに家に戻ったときに、皇后に語った。

(作者注)
正確には狭穂姫命という。一名を佐波遅比売命。開化天皇の子の彦坐(ひこいます)王の子。狭穂彦は同母兄。なお母は春日の建国勝戸売の娘、佐本の大闇見戸売。ただしこれは古事記にのみ伝わっている。

狭穂彦王> お前は兄と夫とどちらが大事だ。

狭穂姫> 兄が大事です。

狭穂姫は尋ねられた意味がよくわからなかったが答えた。

狭穂彦王> 容色を以て人に仕えれば、色香が衰えたら寵愛(ちょうあい)は終わる。まして今は天下に美人が多い、またそれぞれ寵愛されることを望んでいる。容色だけを頼ればいつかは地位を失うぞ。だがもし私が皇位につけば、お前と一緒に天下を臨むことが出来る。枕を高くして百年もいられるのはどんなにか幸福だろう。どうか我が為に天皇を殺してくれ。

そして狭穂姫に匕首(あいくち)を授けて続けた。

狭穂彦王> この匕首を懐に忍ばせて、天皇が眠っているときに首を刺して殺すのだ。

狭穂姫は心わななき、なすすべを知らなかった。それでも兄の志を思うと、容易に諫めることはできず、授った匕首も隠すことも出来ずに懐に忍ばせていた。

治世五年冬10月1日天皇は来目出かけ、高宮にいた。このとき天皇は狭穂姫の膝を枕に昼寝をしていた。

(作者注)
来目は大和国高市郡の地名。古くからの皇室の直轄地であったらしい。

狭穂姫は兄の謀反の好機とはわかっていたが事を行うことが出来なかった。しかし兄のことを思うと涙が流れ天皇の顔に落ちてしまった。天皇は驚いて目をさまし狭穂姫に言った。

天皇> 私は今、夢を見ていた。錦色の小さな蛇が、我が首に巻き付いた。また大雨が狭穂から降ってきて顔を濡らすのだ。これは何かの兆しだろうか。

狭穂姫は謀を隠しきれないと思い、恐れて地にひれ伏して詳しく兄の謀反の事を話した。

狭穂姫> 私は兄の王(みこ)の申し出を断ることも出来ず、また天皇の御恩に背く事もできません。告白すれば兄の王を殺す事になり、言わなければ国を傾けることになります。それで恐れと悲しみで、窮(きわ)まって血涙を流しました。昼も夜も苦悩にあえぎ、訴え申し上げることも出来ませんでした。天皇が今日私の膝を枕に休まれ、もし兄のために狂った女が、このときにとでも思ったら手間もかけずに成功するでしょうと思ったら、まだ事もなしてはいないのに涙があふれ袖より落ちて天皇の顔を濡らしました。夢にごらんになったのはまさにこの事でしょう。錦の小蛇というのは、私が預かった匕首です。雨が降ったのは私の涙です。

天皇> そうであったか。しかしこれはお前の罪ではない。

天皇は身近にいる兵を上毛野君(かみつけののきみ)の祖である八綱田(やつなた)に狭穂彦を討つよう遣いを送った。狭穂彦は軍を起こしてこれに対した。急いで稲を積んで城塞とし立て籠もったが、これがなかなか破れず月が替わっても降伏しなかった。これを稲城(いなき)という。これを見ていた狭穂姫は言った。

狭穂姫> 自分は皇后といっても兄をこんなことで失っては、何の面目があって天下に臨めようか。

そして皇子の誉津別命(ほむつわけのみこと)を抱いて、兄の稲城の中に入った。これを知った天皇軍は軍勢を増やして完全に城を取り囲み、速やかに皇后と皇子を出すよう言ったが、出て来ないので城を焼いた。そこで狭穂姫は皇子を抱いて城を越えて出て来て言った。

狭穂姫> 私が兄の城に逃げ込んだのは、もしかしたら私と子の為に兄の罪が許されるかもしれないと思ったからです。許されないならば私に罪があることを知りました。捕らわれるよりは自殺を選びます。私は死んでも天皇の御恩は忘れません。どうか私がやっていた後宮の仕事は好い女の人にさせて下さい。丹波国に5人の貞潔な婦人がいます。丹波道主王(たにはのちぬしのおおきみ)の娘達です。後宮に入れ補充として使って下さい。

(作者注)
丹波道主王は開化天皇の子の彦坐王の子である。また彦湯産隅王の子との異説もある。

天皇はこれを聞き入れた。

火は燃え上がり城は崩れて兵達はことごとく逃げた。狭穂彦王と狭穂姫は城の中で死んだ。天皇は八綱田の功を誉めて名を授けた。倭日向武火向彦八綱田(やまとひむかたけひむかひこやつなた)という。