− 私本日本書紀 −

巻九

第三話 三韓制圧

冬10月3日、皇后の指揮する軍は和珥津(わにのつ)から出発した。そのとき風の神は風をおこし、波の神は波をおこし、海中の魚はすべて浮かんで船を助けた。風は順風に吹き帆船は波におくられ、舵(かじ)や楫(かい)を使わずに新羅に着いた。そのとき船をのせた波が国の中にまで及んだ。これは天神神祇の助けであった。

新羅の王は戦慄してなにもできなかった。そして多くの人を集めて言った。

新羅の王> 新羅の建国以来かつて海水が国の中にまで上がってきたとは聞いた事がない。天運が尽きて国が海になるのかもしれない。

その言葉も終わらないうちに、軍船が海を埋めた。旗は日に輝き、鼓笛の音は山河に響いた。新羅の王は遙かに眺めて、想像以上の強兵が自分の国を滅ぼそうとしている事を恐れ迷った。そして、しばらくしてやっと気が付いて言った。

新羅の王> 東に日本という神の国があるそうだ。聖王がいて天皇というそうだ。これはきっとその神兵だ、とても兵を挙げて戦う事は出来ない。

そして白旗をあげて降伏し、白い綬(くみ)を首にかけて自ら捕らわれ、地図や戸籍は封印して差し出した。

新羅の王> 今後は末永く服従して馬飼いになります。船使を絶やさず、春秋には馬手入れの刷毛(はけ)とか鞭を奉りましょう。また求められる事がなくても男女の手による生産物を献上しましょう。

新羅の王> 東に昇る日が西から昇らないかぎり、また阿利那礼河(ありなれかわ)の水が逆さに流れ、河の石が天に昇って星となる事がないかぎり春秋の朝貢を欠いたり、馬のクシや鞭の献上を怠ったら天地の罰を受けます。

臣下の者> こうは言っておりますが必ず裏切ります。殺しましょう。

皇后> 神の教えによって金銀の国を授かろうとしているのです。降伏を申し出る者を殺してはなりません。

そして縄を解いて馬飼いとした。その国の中に入り重宝の倉を封じ地図や戸籍を没収した。さらに皇后は持っていた矛を新羅王の門に立て後世への封印とした。その矛は今も新羅王の門に立っている。

新羅の王の波沙寝錦(はさむきん)は、微叱己知波珍干岐(みしこちはとりかんき)を人質とし、金、銀、彩色、綾、羅(うすはた)、絹を沢山船に乗せて軍船に従わせた。だから新羅王は常に沢山の船で貢ぎ物を日本に送っているのである。

(作者注)
波沙寝錦は三国史記の新羅本紀に出てくる伝説の王。羅は絹織物の一種。

高麗、百済の二国の王は、新羅が地図や戸籍も差し出して、日本に降ったと聞いてその勢力を計り、勝つ事が出来ないと判断して陣の外に出て頭を下げて言った。

百済王> 今後は末永く西蕃(にしのとなり)と称して朝貢を絶やしません。

そして内官家屯倉(うちつみやけ)を定めた。これがいわゆる三韓である。

皇后は新羅から帰って、12月14日に誉田別(ほむたわけ)尊を産んだ。時の人はその産処を名付けて宇瀰(うみ)(福岡県糟屋群宇美町)と呼んだ。

軍に従った神の表筒男(うわつつのお)、中筒男(なかつつのお)、底筒男(そこつつのお)の住吉三神は皇后に自分を荒魂を穴門(あなと)(山口県豊浦群周辺)の山田邑に祭るように言った。穴門直(あなとのあたい)の先祖の田裳見(たもみ)宿禰が助言していった。

田裳見宿禰> 神の居りたいとおもわれる地に祭りましょう。

皇后> わかりました。そのようにしてください。

そこで践立(ほむたち)を荒魂をお祀りする神主として、社を穴門の山田邑に立てた。